個展“I'm Japan.”を開くにあたって



はじめまして、肥髙茉実です。
先月多摩美を卒業し、美術作家とライターをしている23歳です。

仕事では消化しきれず、行き場を無くしてしまった展覧会や書籍のレポート、他にも好きな音楽と映画について自由に書きたいと思い、自己満のブログを始めてみました。

しかしながら初回投稿は、来月末から約2週間個展に初挑戦するので来てほしい、という宣伝記事です。(ちゃっかりさんですみません)


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肥髙茉実展 “I'm Japan.”
5/29(火)~6/10(日)
@ JINEN GALLERY
〒103-0001
東京都日本橋小伝馬町7-8 久保ビル 3F
12:00~19:00(金曜 12:00~20:00)
※ 月曜休廊・最終日は17:00まで

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前々回、前回の展示でいろんな方とお話をして、ステイトメントを読みたいので書いてみてとの助言?(苦言ですかね??笑)をいただきました。

今まで作品について語ることには抵抗がありましたが、思い直し、初めて公開してみます。少しでも壁を感じさせることがあったのなら、(できる限りは)それを無くして、より多くのひとにとって見やすくなるように努めたいので。

以下、ステイトメントです。


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大学三年からは、言葉に依存する社会について問題提起し、自分なりに可能性を探ってきました。ふと気付いてみると、あらゆる問題の終着を文書記録や音声テープに委ねがちですよね。

では、どうしてその問題に対し、私はアーティストという立場を取るのか、なぜモノを作り発表するのか。
この問いも合わせて自分自身に投げかけながら、実験を続けてきました。そしてようやく見えてきた可能性は、展示空間に視覚的な作品と聴覚的な作品を二点用意することです。それは観るひとに目と耳のあいだを行き来させたい理想があり、多摩美での卒業制作以降、私は、展示空間を使ってそれを明確な構図で示そうと制作をしています。

失われてしまった真実や過ぎ去った膨大な時間を完全に補うことは不可能だけれど、目と耳のあいだを行き来するような経験と、そしてその中で想起される映像は、人間の第六感にアプローチできるような気がします。これはアートじゃないとなかなかできないと思います。

アーティストという立場は日本の社会においてきわめて弱いもので、この状況はなかなか変わってはくれません。しかしながら、政治でいう与党・野党のように、アーティストは何とも敵対することなく、ニュートラルな立場で意思表明し、議論を交わすことが可能です。この気付きは、間違いなく制作をしていく上での強みになりました。

日常的で普遍的、そして映像的に比喩すると、あえて視界も足元も悪いところを選ぶということです。天候に振り回され、視界も靄がかかり、人間も犬も猫も、泳ぐようにしか立てないほど不安定な場所。いくら無視されやすくても、どうしてもそこに可能性を感じてしまい、選び、どうにか家を建てようとしている、みたいな感覚があります。この感覚をはっきりと認識したとき、私は自分自身のことを、地震の多い日本そのもののようだと気付きました。

“I'm Japan.”
(わたしは日本。)

ちんぷんかんぷんでふざけたような展覧会名は、まさにそういう意味でつけています。


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ああ、長くなってしまいましたが、是非来てください… 結構心細いので。
ギャラリストの方が自由にやっていいと言ってくださっているし、せっかくなので、美術館ではなかなかできないような展示方法を考えています。会期中、たくさんの方とお話できますように。


また。

portfolio mamihid.tumblr.com



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